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毒親の特徴

こんにちは。社畜ママです。

自分の親は毒親だったなと、正直そう思っちゃっています。

親との関係は幼少期から悪かったです。

社畜ママ

小6でグレて、不登校になりました。中学時代も最悪でした。高校は楽しかったけどね。

大人になってもそのカルマは継続しており、夫から「育児に影響してる気がするよ」と釘を刺されました。

私にとって、保育園の送り迎えは祖母。

体調不良時に、必ず家にいてくれて、病院に連れて行ってくれたのも祖母。

土曜に午前授業で学校から帰ると、お昼ごはんとおやつを準備して待ってくれていたのも祖母でした。

父は仕事から帰宅して、よくお風呂に入れてくれていた記憶があります。

そう。幼少期の思い出に、母親があまり登場してこないのです。

私が19歳の時、祖母は88歳で他界してしまったのですが、自分が母親になった今、最も頭が上がらないのは祖母です。

そんなカルマを解消すべく、読んだ本は数知れず…。

直球で言ってしまうと「親ガチャでハズレを引いちゃった」という状況。

現在は、私自身も親になって、数年に1回ぐらいは…と、孫の顔を見せに実家へ帰ったりもしますが、兄は両親と絶縁状態継続中です。

きょうだいで同じカルマを背負っています。

今回は、そんな”毒親をもってしまった私”目線での記事となります。

親に受けてしまったからこそ分かる子育てがあります。

それでは、最後までぜひご覧ください。

毒親の特徴

1.関与しようとしない

自分に子供ができた今になって思うのが、「幼少期の思い出はほぼ祖母だな…」ということです。

保育園の送迎も、体調が悪い時看病してくれたのも、学校が早く終わる土曜日にお昼ごはんを作って待っててくれたのも、ほとんど祖母。

母は夕方6時ぐらいに仕事から帰ってきてバタバタと夕飯準備していましたし、父が帰ってくるのは21時前後です。

私が小学2年ぐらいの時、母が婦人科系の手術をして、その後2週間程度家にいた時は、なんかちょっと嬉しかったりしたので、きっと心の中は寂しかったんだろうなと思います。

2.子の気持ちや感情に興味ない

仕事で忙しい父と母だったので、私の要求や意見を聞いてもらえる場というのは少なかったです。

欲しいものを要求しても「なんで欲しいの?」ではなく「お金ないからダメ」の一点張りですし、学校で嫌なことがあっても、母は祖母と不仲。家庭内ではいつもイライラしてて、祖母と喧嘩ばかりしていたので、そんなこと言える状況でもありませんでした。親の機嫌ばかり伺っている小学生だったと思いますし、「ごめんね」等のフォローもなかったので、親との心の距離はどんどん離れていっていたと思います。

3.金銭的な援助を拒む

欲しいものは基本的に買ってもらえなかったので、こっそり買い物かごに入れたりしては怒られました。

高校2年の進路希望調査で「美容系か理学療法士の専門学校に行きたい」と伝えましたが、お金かかるので、答えは「NO」でした。

車なら買ってやるから、地元で就職しろと言われました。

もちろん嫌だったので、高校卒業した後すぐ、親の援助なしに、現金10万円のみで上京しました。

4.過干渉である

普段はあまり子供に対して興味なさそうにしている親でしたが、私も中学生になって「土日にお友達と遊びに行く」とか「夏祭りに行く」みたいなことが増えました。

しかしそれに対しても、ものすごく干渉されました。

「それって全く遊べないじゃん!」というぐらい早い時間での門限を要求してきたり、「あの子とは遊ぶな」とか、いちいち口を出してきます。

部屋も汚くしていると勝手に掃除されるし、「中学生が化粧なんかするな!」と言われたり、思春期真っ盛りの私はとにかく不快極まりなかったです。

この頃には、もう実家は出ると決めていたと思います。

5.平気で手を出してくる

今でも鮮明に覚えているのが、小学5〜6年の冬のことです。

私は少食だったので、その日も夜ごはんを残そうとしました。すると親はブチギレ。洋服が伸びるほど強く襟元を掴まれ、玄関まで引きずり出されそうになりました。

柱に捕まって抵抗したのですが、親の力には及ばず、そのまま玄関の外へ、裸足のまま放り出され、鍵を閉められてしまいました。

真冬です。雪が降って、道路は凍っていました。本当に寒かった。

命の危険を感じた私は、お隣の老夫婦が住む家へ泣きながら逃げ込みました。老夫婦は、何も言わずに「いいよ、いときな」と匿ってくれました。

老夫婦の家と私の家は、道路を挟んでお隣同士。実家の様子を伺ってましたが、親がしきりに出入りし、私のことを捜索している様子が見受けられました。

その20〜30分後、車でどこかへ行ってしまったのです。

老夫婦は「あれ、もしかして警察行っちゃったんじゃないか」と、私の家に電話してくれたら、祖母が出て、まさしくビンゴ。「警察行っちゃった」と。

その時はもう携帯電話はあったので、祖母が父に連絡をとってくれて、大事にならずには済みましたが、私の心は深くえぐられました。

その日に限って「なんでお隣さんに行くんだ、迷惑かけて!」のように、怒られるようなことはなかったのですが、老夫婦の自宅に親が迎えにきて、「すみませんでした」と一言。

真冬で路面は凍結、私も裸足のまま。父におんぶされて自宅に戻ったことを、今でも鮮明に覚えています。

これに限らず、よく押し入れに閉じ込められましたし、ズボンを下ろされ、生尻を赤くなるまで叩き続けられることは日常茶飯事でした。

子に「お金くれ」とたかる

お金のエピソードは数知れずです。私が、東京で、お金が最も苦しい時期に、苦肉の策で親に連絡をしたことがあります。その時言い放たれたのが「金欲しい時だけ連絡してくんな。金ないなら実家帰ってこい。勝手に東京行ったくせに」でした。

もう親は頼らないと決め、とりあえず生活資金として20〜30万ずつ借入して、最後は最大200万のカードローンの返済に追われヒーヒーしましたが、なんとか貧乏時代を乗り切り、今があります。

一方で、私の親は、兄には金銭面の援助を要求していたようです。例えば「冷蔵庫が壊れた。買ってくれないか」「洗濯機が壊れた」「テレビが壊れた」「車が壊れた」など、いちいち報告してきて、資金協力してくれないかと。

挙げ句の果てには、親が兄の学費(医療系専門学校)を数百万円滞納しており、「実は返せていない」と、卒業して数年後に暴露されたとのこと。

兄は「俺は親の貯金箱じゃねー!もー二度とたかってくんな!」と親にブチギレ。

現在兄と親は絶縁状態。

私の夫が仲介に入り、修復に向けて段取りをしているところです。

まとめ

これはあくまで、我が家の場合です。

色々な「毒親」のスタイルがあると思いますが、私自身が親になって、「絶対我が子に同じことはしない」と誓っている内容です。

親と子には、少なからず色々な問題が生じてくるものです。

父曰く、祖母はかなりのスパルタ教育だったと言います。ほぼ論破されると。(これは孫の私でも理解できます)父はきょうだいが5人。全員が女子という中で、唯一の男だった。

それもあり、余計に「男だろ!我慢しろ!」みたいな環境で育ってきたようです。父も幼少期はしんどかったなぁと、今になって吐露していました。祖母の育児を見て、感じてきているので、子供である私に同じことをしてしまうのは、仕方がないことだと思います。

母は母で、幼少期に母が蒸発し、父親も東京へ逃亡してしまった。母には1つ下の妹がおり、祖父母に育てられるという特殊な環境で育ったようです。母は、家計を助けるため、中学卒業後から稼ぎに出ていたと言います。祖父母への感謝はあるようですが、自身の親に対しては、今でも恨みが残っているように感じます。

家族にはいろいろなカタチ、背景がありますが、この負の連鎖は、ここで打ち切り。

私が何かを変えていかないと、息子に悪影響を及ぼすので、必死にカルマと戦いながら、日々子育てをしています。

親は誰もが選べません。

息子が将来、幼少期を振り返った時に「いい母ちゃんだったと思う」と思ってもらえたら、それでよいのです。私のお役目は終了。

この記事が、どなたかの参考になってくれたら幸いです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。